カーペンターズ7つの衝撃真実

拒食症と薬物中毒の壮絶な物語100

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カレン・カーペンターがカーペンターズ活動停止の原因じゃなかった?

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カーペンターズは今年でデビュー50周年を迎え、
2001年の未発表音源集
『レインボウ・コネクション~アズ・タイム・ゴーズ・バイ』
から実に17年ぶりに
Carpenters With The Royal Philharmonic Orchestra』が
全世界同時発売されました。

そんなカーペンターズの知られざる真実を
書き綴っていきたいと思います。

カーペンターズの音楽活動を終わらせてしまったのは、
リードボーカルである妹カレン・カーペンターの死だと思われているかも知れませんが、
真実はカレン・カーペンターが亡くなるずっと以前にカーペンターズとしての活動は停止していたのです。

カレン・カーペンターが亡くなった日は1983年2月4日で、
実はその4年以上も前にカーペンターズは活動を停止していたのです。

活動を停止しなければならなかった原因は
リードボーカルの妹カレン・カーペンターの拒食症(神経性食欲不振症)ではなく、
実はカレン・カーペンターの兄リチャード・カーペンターにあったのでした・・・


カレン・カーペンターが亡くなるずっと以前に、カーペンターズは音楽活動を休止していた

1978年9月4日、ラスヴェガスMGMグランド・ホテルで
バンドリーダーであるカレン・カーペンターの兄リチャード・カーペンターは、
ショーとショーの合間に
バンドとスタッフに向かって

「ここまでだ、ぼくは明日からはもう演奏しない」

と宣言してカーペンターズの音楽活動に終止符が打たれたのです。

まだ何日もの契約を残して、ドッカーン!

最後のショーとなれば花を贈られたり、打ち上げとかがあるはずが・・・

2週間に28回のショーを行う契約を1週間で解約することになりました。

そしてこれがカーペンターズの音楽活動を終わらせた真実です。

しかし、また音楽活動を再開出来ると関係者もファンもそして

リチャード・カーペンターもカレン・カーペンターもそう思っていたはずでした。


カレン・カーペンターの兄リチャード・カーペンター睡眠薬中毒だった?


カレン・カーペンターの兄リチャード・カーペンターは1978年の秋、
ライヴではカーペンターズの選曲から、
ピアノがむずかしくて複雑な部分のある素材ははずすようになっていたのです。

コンサートが終わる瞬間を待ち焦がれ、
急いでステージを離れ、
ホテルの部屋に帰って睡眠薬を服用して眠る毎日。

カーペンターズの音楽活動を終わらせた原因は・・・

バンドリーダーであるカレン・カーペンターの兄リチャード・カーペンター睡眠薬中毒だったのです。


カーペンターズアメリの若者の望ましい姿だった?

カレン・カーペンターが全米がん協会の青年部長となり、
十万ドルを研究援助のために寄付すると・・・

第37代アメリカ合衆国大統領であるリチャード・ニクソンから
1972年9月にホワイトハウスに招かれて、
ゴルフ・ボールとカフスボタン、金製のコンパクト(全て大統領の紋章入)を
ニクソンから贈られているほど、
アメリカの若者の望ましい姿として選ばれていたカーペンターズでした。

ニクソンは、ベトナム戦争やヒッピーの流行に合わせて
アメリカ国内で若者を中心に流通が増加し、
当時アメリカにおいて深刻な社会問題になっていた麻薬に対して
強硬な対策を行っています。

アメリカの望ましい若者の姿で、
麻薬とは無縁であったはずのカレン・カーペンターの兄リチャード・カーペンター
まさかの睡眠薬中毒によって、
カーペンターズの音楽活動に終止符を打っていたことは、
皮肉としか言い表すことができない衝撃の真実です。



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